前回の実績「African Power」挑戦の続きになります。
目次
アフリカ東岸の統一
エチオピアの対イエメン戦とキルワ戦
前回、キルワを内陸国になるまで追い込んだのですが、マムルークが信仰の守護者として参戦してくるのでキルワやマリンディといった小国にとどめを刺せなくなりました。
その後、同盟国のエチオピアがイエメンに宣戦布告。
その参戦要請が来たので参加しました。
そのエチオピア戦にマムルークが信仰の守護者として参戦しているのでエチオピアと共に叩くことにしました。
で、この戦争中についでなのでキルワとその同盟国のマリンディに宣戦布告。
これでキルワを完全併合し、マリンディは1プロヴィ国家になりました。
エチオピアの対イエメン戦の方も特に何もしていませんが勝ったようです。
ただ、あとで調べたらマムルークはオスマン戦に忙しくてこっちの戦争には参加していなかったみたいです。
ムパタ属国化
この8年後、ムパタに宣戦布告、属国化しました。
交易首都の移転
この翌年、交易首都をザンジバルに移しました。
これでザンジバルの交易額を吸い上げることが出来ます。
南アフリカの状況
ちなみにこの頃の南アフリカの状況はこんな感じ。
喜望峰ノードにポルトガル、ザンジバルノードにフランスが入ってしまいました。
制度受容や中核化、外交併合などで統治点と外交点をかなり使うので、技術が遅れて出遅れた感じですね。
ここを独占出来なかったのは結構痛いです。
マダガスカル侵攻
アフリカ東岸をほぼほぼ支配した1601年。今度はマダガスカルに侵攻しました。
国力差がかなりあるので特に苦戦することも無く、沿岸部を中心に割譲させて和平しました。
ここまでに取得したアイデアグループ
1617年に4つ目のアイデアグループを取得しました。
ここまでに取得したアイデアグループは、探検、拡張、統治、軍質です。
探検と拡張は南アフリカへの迅速な拡張に必要なため、最初に取りました。
統治の中核化コストを減らすアイデアは正直なところ、最初からほしいところですが、南アフリカへの進出の方が優先度が高いので3番目に取ってます。
ですが、軍事点が結構余る場面があったので、統治と軍質は先に軍質を取っても良かったかなと思います。
マダガスカル平定
このすぐ後、再度サカラヴァに宣戦布告。属国化しました。
アフリカの角への進出
ワルサンガリ戦
更にこの後、アフリカの角(今のソマリアやエチオピア等のある地域)にあるワルサンガリがマムルークと戦争していたので、属国アジュラーンの再征服CBを使ってワルサンガリに宣戦布告しました。
ワルサンガリはマリンディと同盟しているのでマリンディ併合も目指します。
この戦争はマムルークが敵を殲滅したらしく、ほとんど抵抗の無いまま全土占領。
マリンディ併合し、
ワルサンガリからは沿岸部を中心に割譲させました。
ちなみにこの頃のコンゴは列強ランキング2位でした。
かなり調子が良かったのでこの段階では実績解除行けるかもって思ってました。
国教の改宗
この時点で、領有している州の3分の1くらいはスンナ派だったので、スンナ派を選んだ感じですね。
コプトもコア化コスト減の補正があるので魅力的だったのですが、改宗のディシジョンが用意されていなくて面倒そうだったのでやめました。
エチオピア戦
エチオピアは中堅国で同盟国もいますが、戦力的には圧倒的にこちらが上なので特に問題なく勝利。
沿岸部とマムルークとの国境沿いの州を割譲させて和平しました。
ワルサンガリ属国化
エチオピア戦後、停戦明けのワルサンガリにもう一度宣戦布告。属国化しました。
5つ目のアイデアグループ取得
ワルサンガリ属国化後、5つ目のアイデアグループの取得が可能になったので、軍量を取りました。
収入には余裕があるので軍量アイデアを活かせると思って取っております。
工場の制度発祥
我が国で工場の制度の発祥地となりました。
私がヨーロッパの国以外の国をプレイしていて、制度発祥が出来たのは初めてかもしれないです。
ちなみにこのタイミングで発祥しましたが、お金がないので採用するのは結構後でした。
オスマンの対マムルーク戦参戦
更にこのすぐ後、オスマンがマムルークに宣戦布告。その参戦要請が来ました。
一応参戦して、戦争自体は問題なく終わったのですが、エジプト領を持っていかれました。
一歩遅かったですね。先にマムルークに宣戦布告しておけばよかった。。。
第二次エチオピア戦
1660年11月、再びエチオピアに宣戦布告しました。
こちらの宣戦布告に合わせるようにカファもエチオピアに宣戦布告したようで、占領地が面倒な感じになってしまいました。
この後カファが和平するのを待つのが面倒だったので、カファに宣戦布告しようと思いましたが、国境が離れていて請求権を付けれなかったのでカファの同盟国のミドゥリ・バリに請求権を付けて宣戦布告。
全部まとめて併合することにしました。
全て占領したところで、まずエチオピアと和平。
西アフリカへの接続部分を中心に割譲させました。
カファとミドゥリ・バリは全土併合しました。
コンゴ領オーストラリア誕生
前回のブレーメンプレイと同様に今回も西半分のオーストラリアが出来ました。
北アフリカ進出
工場の制度採用
1679年になってやっと工場の制度を採用しました。
自国で発祥したのに金が無くて結局30%くらいのペナルティを食らうまで採用できませでした。
自国発祥の優位性を全く活かせてないですねw
6つ目のアイデアグループを取得
6つ目のアイデアグループは人文を取りました。
この辺から反乱が多くなってきたので取りました。
マムルーク戦
この後、マムルークに宣戦布告しました。
植民地主義CBが使えたのでそれで宣戦布告しています。
こちらの方が部隊数が多いので余裕こいて適当に進軍していたのですが、こちらの30kの部隊が50k程の部隊に襲撃を受け、瞬殺されました。
で、援軍に向かった別の30kの部隊も戦闘が終わった後に突入して、こちらも瞬殺。
ひと月ほどの戦闘で60kが消滅するという大損害を負いました。。。
ちなみにこの時の全保有部隊数が90kなので、ここで全戦力の3分の2を失ったことになります。
これ、消滅した原因は軍質と軍事技術の差ですね。
軍質は規律が9%程負けてましたし、軍事技術もこちらが22でマムルークが23でした。
そこに数の差があったので撤退できずに消滅したみたいです。
この後、30kの部隊2つを急遽再編成。
ついでに少し遅れて傭兵団35kの部隊を追加でしてこのマムルーク戦の終盤では30k×3と傭兵団35kの125kを運用していました。
軍質でかなり負けていたので苦労しましたが、数で何とか押し切ってまずは同盟参戦してきて、白紙和平を申し込んできたホラーサーンと単独和平。
続いて地中海沿いにあるトゥーグラとは、沿岸の州を中心にいくつか割譲させて単独和平。
マムルークとは紅海沿岸の州を中心に割譲させ、和平しました。
あとがき
エチオピア戦までは順調だったんですが、マムルーク戦でやらかしてしまいましたw
何とか立て直せたので良かったものの、軍質や技術差は調べれば確認できるので、それを事前に確認しなかったのは反省点ですね。
ということで、今回はここまでです。
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