前回はマラッカからマラヤに国家変態して、ブルネイからマラヤ領を全て回収したところまでやりました。
今回はその続きからです。
目次
- 拡大方針検討
- マリンディ征服戦争
- クメールのラーンナー再征服戦争
- アユタヤ併合
- オスマンの日本・ロシア戦
- クメールのラーンナー第二次再征服戦争
- 7つ目のアイデアグループ取得
- アフリカ西海岸の確保
- オスマンとペルシャの戦争
- イングランドのクメール侵略に対する防衛戦争
- クメール併合(1回目)
- 対アラゴン戦
- オスマン=アロディア戦争参戦
- サヴォイ併合
- クメール併合(2回目)
- ゲーム終了
- あとがき
拡大方針検討
マラヤ領の回収が終わったので今後の拡大方針を検討してみました。
交易ノード的には下流のベンガルを押さえたいですが、デリーは列強入りしている大国なので、なかなか難しそうです。
なので、とりあえずプレイ目標である欧州領獲得に向けて拡張していく方向でやっていきます。
インド洋の勢力状況
1718年時点のインド洋の状況ですが、海岸線は一通りどこかの国に領有されていて入植できる場所はありません。
インド亜大陸の海岸線はデリーとフランスの息がかかった国が領有しています。
中東はペルシャとイエメンの同盟が領有してます。
アフリカ東岸はキルワとマリンディの同盟が領有しています。
この中で、独力で勝てそうなのはアフリカ東岸のキルワとマリンディの同盟なので、とりあえずそこのプロヴィを押さえる方向で進めようと思います。
ただ、キルワとマリンディの同盟は全戦力を持って行って何とか勝てるかなぁっていうレベルの国なので、チャンスを見極めて攻めた方が良さそうです。
マリンディ征服戦争
1724年、アフリカ東岸への進出を狙っていたのですが、ちょっと目を離した隙にキルワ・マリンディが攻撃されてました。
チャンスなので急いで部隊を送りますが、到着した頃には戦争終了。
ですが、幸いなことにマリンディの同盟が切られていたので、
そのまま宣戦布告しました。
マリンディは敗戦直後なので当然1部隊も保有しておらず、そのまま全土占領して和平。
見事に、アフリカ東岸に領土を確保出来ました!
クメールのラーンナー再征服戦争
1733年3月30日、同盟国のクメールがイングランドと交戦中のラーンナーに再征服戦争を仕掛けました。
ラーンナーはイングランドにやられていたこともあり、この戦争もほぼ塗絵状態。
他人の戦争なので適当なところで勝手に和平して、ラーンナーのインド洋側の海岸線をもらいました。
アユタヤ併合
ラーンナー戦で領土を得ましたが、飛び地になっていて移動しにくいのでアユタヤを併合することにしました。
国力差があり過ぎるので、特に何事もなく全土占領して終了しました。
オスマンの日本・ロシア戦
アユタヤ戦後、オスマン先輩から日本・ロシア同盟との戦争に誘われました。
何のメリットもないし、そもそも手伝えることもほとんどないですが、参戦しておきました。
その後、3年くらいして終了しました。
どうやら勝ったみたいですね。
ちなみに日本には負けたみたいですw
クメールのラーンナー第二次再征服戦争
1747年3月2日、クメールがラーンナーに再び再征服戦争を挑みました。
とりあえず参戦しましたが、ラーンナーはすでにフランスと戦っていてかなり占領されている状態。
なので、こちらからはほとんど何もせずクメールに勝手にやらせてました。
7つ目のアイデアグループ取得
で、この戦争中に7つ目のアイデアグループを取得しました。
7つ目は軍量アイデアを取ってます。
この頃、人的資源がずっと枯渇していたので人的資源を増やそうと思って取りました。
ただ、実際には常備軍の部隊数が多すぎて、損耗率が人的資源の増加量より多くなっているだけなんですよね。
それを知らなくて、人的資源が0のまま50年くらいプレイしてましたw
アフリカ西海岸の確保
ラーンナーとの戦争の間にアフリカ西海岸で動きがありました。
ルアンダ辺りにあるンドンゴって国が独立したので、速攻で確保しに行きました。
これでヨーロッパへの足がかりが出来ました!
ちなみにンドンゴと戦争している間にクメールとラーンナーの戦争はクメールの勝利で終わったみたいです。
オスマンとペルシャの戦争
1755年5月23日、オスマンとペルシャの戦争に誘われたので参戦しました。
とりあえず、ペルシャの同盟国であるイエメンがアフリカのソマリアに陣取っているので、そこを攻めました。
アフリカ戦線は順調だったのですが、他はそうでも無かったみたいで、オスマン先輩は負けたみたいです。
イングランドのクメール侵略に対する防衛戦争
1764年10月25日、同盟国のクメールがイングランドに宣戦布告されました。
一瞬同盟を切ろうか悩みましたが、欧州諸国に舐められっぱなしなのも気に食わないので参戦することにしました。
戦争の経緯
まずインドシナのイングランド領を占領しつつ、南ベトナム辺りで敵の75kの部隊を撃破しました。
その後、シャム湾にて敵の75隻の艦隊を殲滅。
これで戦勝点を50%程稼いだのですが、何故か和平できず、ダラダラ続いていました。
その後、1770年10月6日、カスティーリャがクメールに宣戦布告。
流石にもうクメールを支えきれなかったのでカスティーリャ戦には参戦拒否しました。
その1年後くらいにイングランドと和平しました。
とりあえず勝つには勝ったのですが、戦勝点50%程稼いだ割にはかなり微妙な戦果でした。
インドシナのイングランド領を全て割譲するくらいは出来そうな気がするんですが、何でこうなったw
クメール併合(1回目)
その後、欧州勢の食い物になっているクメールの併合に動きました。
1回では全併合出来なかったので、2回に分けて併合しています。
1回目は自国領で囲んで他国が手を出せない様にしておきました。
対アラゴン戦
1780年12月28日、目標達成への最大のチャンスが訪れました!
戦況はカスティーリャ有利で進んでおり、アラゴンは同盟国がおらず、孤立しています。
マラヤはこの機に乗じて、アラゴンに宣戦布告。
欧州領の獲得に動きます。
アラゴン領はイベリア、イタリア、アフリカに広がっていますが、イベリアとアフリカはカスティーリャほぼ占領していたので、イタリアのアラゴン領を中心に占領しました。
大きな戦闘は無かったのであまり戦勝点は稼げませんでしたが、シチリアとコルシカ、アフリカの一部、あとはジェノバ周辺のプロヴィを割譲することが出来ました。
これで目標だった欧州領を確保することが出来ました!
オスマン=アロディア戦争参戦
1792年2月22日、オスマンが小国に宣戦布告したのですが、その国の同盟国と独立保障してた国が参戦して、それに我が国は巻き込まれたみたいです。
ちなみにアロディアと同盟国のルバ、独立保障で参戦してきたイエメンの位置関係はこんな感じ。
全くメリット無いのに頑張ってルバを占領したのですが、
ろくな報酬ももらえず終わりました。
この戦争は完全に徒労でしたw
サヴォイ併合
この後、アラゴンと戦っていたカスティーリャがアラゴン領の一部を開放していることに気付きました。
まだ少ししか同盟国がいないみたいだったので攻めることにしました。
で、小国なので特に問題なく併合しました。
クメール併合(2回目)
サヴォイ併合後、クメールの残り領土も併合しました。
イングランド領が反乱を起こしてクメールに戻っていたので、その部分も含めて併合しました。
ゲーム終了
この後は特にイベントもなく終了まで行きました。
今回のスコアはこんな感じです。
スコア8017が高いのか低いのか分かりませんが、目標だった欧州領の獲得は達成できましたし、欧州の列強入りしている国と互角に戦えたので、私としてはうまくプレイできたかなと思います。
あとがき
今回のプレイ中、目標達成は無理なんじゃないかと思う場面がいくつかあったのですが、無事達成できてよかったです。
ということで、今回はここまでです。
次回はEU4の別の国をやっていこうと思います。
動画も作成しましたので、見て頂けると有難いです。
Twitterやyoutubeもやっておりますので、フォロー・チャンネル登録していただけると励みになります。
以上